江戸時代からの箱根七湯の伝統を受け継ぎ、新しい時代に対応していった湯宿主たちによってのみ、箱根温泉が七湯から十二湯へとその裾を拡げ、質的にもいわゆる江戸の湯治場から近代的な温泉地へと発展していったわ ...
古くからの家業を継いだ箱根の湯宿主が近代化への脱皮に苦慮するころ、来朝する外国人憧憬の的が、豊富な温泉と富士の景観に恵まれ、しかも、東京・横浜から一日で達し得る箱根であることを早くも見抜いた青年実業 ...
宮之下に富士屋ホテルを創設した山口仙之助の外にも、近代化の緒についたばかりの箱根に将来を期待して、旅館業に進出した人たちがいる。 小涌谷の開発については、「七湯から十二湯へ」の項に詳述したので重複 ...
横浜真金町に酒商を営む沢田武治は飯野藩藩士であった。底倉の湯を好み、しばしばこの地に遊んだ武治は自ら旅館の経営を決意し、明治二十三年(一八九〇)蔦田平左衛門より建物、屋号を譲り受けて、湯宿蔦屋を底倉 ...
塔之沢の老舗、福住喜兵冶を買収して、箱根に進出した沢村高俊もその一人である。高俊は肥後細川藩の家老をつとめた武士であった。維新後、東京に居を移した高俊は、明治二十三年(一八九〇)塔之沢福住が売物に出 ...
大正三年(一九一四)仙石原に俵石閣を開業した島田藤吉、田畑平七、淡島嘉兵衛は東京の事業家であった。明治の後年代、代物弁済として取得した仙石原の土地(現在の俵石閣周辺)が、将来必ず発展するであろうと確 ...