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【過酷な戦後の新税】

 第二次世界大戦後の日本経済は産業活動がまひ状態となった。加えて、インフレの高進や、通貨の膨張などで国民生活に混乱がつづいたので、昭和二十一年(一九四六)二月政府は新円への切換え、預貯金の封鎖を行った。また、国民の負担を軽減するため、同年3月には緊急勅令によって所得税の減税を行ったが、その後の歳出の増加に対処するため再び増税を行わざるを得なくなり、同年八月、所得税法、相続税法を改正し、十一月には戦時利得没収をねらいとして、財産税が設けられた。
 つづいて、同年十二月「やみ成金」と呼ばれた新円所得階層から購買力を吸収してインフレ阻止を図るため増加所得税が設けられ、昭和二十年中の所得と比較して一定額以上増加した場合に、極端に高い累進税率で税を課した。

 昭和二十三年には、インフレによって生ずる名目所得を軽減するため所得税率が引下げられたが、その減収分を補てんするために取引高税が新たに設けられた。
 昭和二十四年二月、総司令部の財政顧問として来日したドッジ公使(デトロイト銀行頭取)はインフレを終熄させるため、超均衡予算の編成を政府に要請した。ドッジラインと呼ばれた財政政策である。この政策に沿って財政規模の圧縮が強行されたので、さしも猛威をふるったインフレは漸く衰えをみせたが、このデフレ政策の強行はやがて日本経済に極端な不景気を招き中小企業の倒産は相次いで起こるようになった。

 また、日本の税制度を根本的に見直すため、同年五月来日したシャープ使節団は、国税及び地方税の全般にわたって課税制度の徹底的合理化を図るよう、勧告書を八月二十七日連合国最高司令官に提出した。このシャープ勧告に基づいて昭和二十五年・二十六年の両年度にわたり大幅な税改正が行われた。直接税特に所得税中心の税体系が採用され、所得税の最高税率の軽減、富裕税、再評価税の新設、さらに青色申告制度が導入されるなど時代に即応した制度がとり入れられた。

 また、同勧告書は国家財政と地方財政との関係にも触れ、地方自治体の財政強化のために、地方税については総額を大幅に増額しその増額分は専ら市町村税の増税によること、附加税制度を廃止し、都道府県と市町村はそれぞれ独立の税目をもつことを勧告したので、昭和二十五年には、遊興飲食税、入湯税、固定資産税などの地方税が独立税として新しく設けられた。

 このように、戦後の税改正はめまぐるしく行われ、つぎつぎに新税が生まれたが、その中で箱根の旅館に関係の深いものは次の諸税であった。

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