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【南北朝の動乱】

 元弘元年(一三三一)後醍醐天皇は、鎌倉幕府討伐のためのクーデターを謀った。が、六波羅探題に知られ失敗、隠岐に流された。この変を契機として足利尊氏、新田義貞らの反幕勢力が諸方で挙兵し、北条氏は滅亡、建武中興実現へと進んでいった。
 しかし、天皇の建武中興は実現したものの、北条高時の遺子時行が旧臣たちに助けられて鎌倉を奪回し、そのために捕えられた御良親王を殺した足利直義は鎌倉を脱出した。足利尊氏は、弟直義を助けるため、天皇の許しを得ぬまま東下、建武二年(一三三五)八月十七日北条時行軍と箱根水呑・葦河上・大平下・湯本地蔵堂で時行軍を破り、鎌倉を奪回した。
 鎌倉に入った尊氏は、その後天皇の命に逆い上京せず、そのため天皇は、新田義貞に命じ尊氏追討を計った。義貞は海道で勝利を収めながら箱根に向かい、足柄山で尊氏・直義と対決した。しかし味方の武将大友貞載らが、竹ノ下の戦で裏切り、総くずれとなって京都に逃げかえった。南北朝動乱の嵐が箱根山を中心に吹き荒れたのである。
 尊氏はその後、いくつかの戦いを経て、天皇政権の復活を夢見る勢力を打倒し、新しい武家政権として室町幕府をスタートさせた。

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