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【箱根湯の湯治】

 以上鎌倉時代の確実な資料から湯本・芦之湯がこの時代から存在した温泉であることを述べてきたが、箱根温泉に関しては、もう一つ興味深い資料がある。金沢文庫文書中にある「沙門祐賢書状」である。長文なので箱根湯治に関するところのみ紹介すると

   一、聞了房は、去秋比より瘡をひたたしくかき候て、箱根湯三七湯治して
   なうりて候か、又、此程以外にかうれて、此廿五日より瀬崎旦那本居住にて候、
   難治の事にて候、返々只御上候へく候、付其候は、年中明春は、御計ある
   べく候。諸事紙上に盡し難く候。恐々謹言。
          十月廿九日  沙門祐賢(花押)
         進上 良達御房御侍者

 この書状は祐賢という僧が、称名寺の良達房に送ったもので、恐らく良達も知己の間柄である聞了房の消息について知らせた部分がこれに当たる。文面によると聞了房は、瘡(できもの)治療のため箱根湯で三七湯治(二一日間)をしたが、完治しがたく瀬崎旦那のところに滞在している、と伝えている。
 この書状にでてくる箱根湯とはどこを指すか定かではないが、先述のように鎌倉期の箱根温泉で確認されるのは、湯本・芦之湯であり、その中でも往時箱根権現領下にあり、密教系の僧侶に利用された温泉となると芦之湯を想起せざるを得ない。この書状の年代は不明であるが、少なくとも鎌倉後期から南北朝にかけてのものであることは確かであろう。
 金沢文庫には、年代不詳ながら温泉湯治に関する書状が他にも残されている。先の金沢貞将の前後欠書状に「湯治以後は、違例の事候て、出仕及ぼす候の処云々」という文面があり、また長井貞秀書状には「昨日温泉より下着仕候。此間参て、心事申せしめべく候云々」とある。ここに述べられている温泉がすべて箱根温泉を指すものと断定することは危険かもしれないが、今までに紹介した金沢文庫文書中の書状が二点ともに箱根温泉に関するものであることからこの二点の書状もこれと関連する箱根温泉に関するものと考えられる。となれば、鎌倉期称明寺金沢文庫の関係者は箱根温泉をかなり利用していたという推定も成りたつ。

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