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【万葉の時代】

  足柄の箱根山に栗蒔きて
   実とはなれるをあわなく怪し

 万葉集には箱根山を詠じた歌が三首収められている。この時代となると箱根山とそれに連らなる足柄山は、東国と西国をわける境の山と見られるようになった。東国から防人として西国に赴く男たちは、郷里や愛する妻たちへ別れを告げる山として多くの哀歌を残している(万葉集・東歌)。
 このころ箱根山では聖と呼ばれる山岳修行僧の活躍が始まっていたようである。古代の人々は自分たちに災いをもたらす自然災害のすべては、山中にいる神々の怒りによると信じていた。聖たちは、これらの神々の怒りを鎮めるため、山中で行を重ね、祈りを捧げた。「筥根山縁起并序」によれば、駒ケ岳を中心とした箱根山中は、このような山岳信仰の聖域であったらしい。
 やがてこれら山岳修行僧の一人万巻上人が来山、山中で修行中、霊夢の告げによって天平宝字元年(七五七)芦ノ湖畔に三所権現を勧請した。これが箱根権現の始まりである。

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