昭和二十五年(一九五〇)朝鮮戦争が勃発すると軍需物資の特需景気で敗戦の悲しみや苦しみは消された。〝欲しがりません、勝つまでは!〟戦時中の長い欲求不満が爆発して国民はレジャーに殺到した。観光産業、レジャー産業の大波と共に箱根にもどっと観光客が押しよせた。
西武系、東急系、藤田観光等の外来資本が競って開発事業に投下され、観光道路は網のように作られ、外輪山の稜線にまで有料道路が走った。ケーブルカーやロープウェイは中央火口丘駒ヶ岳山頂にまで登った。仙石原や芦ノ湖畔にはゴルフ場が境を接して造られた。
開発によって出現した主な施設を列挙すると、
昭和二十七年 湯の花ゴルフ場(六六万平方メートル)
昭和二十九年 芦ノ湖畔埋立、元箱根・箱根園地
〃 箱根カントリーゴルフコース(九〇万平方メートル)
〃 大箱根カントリーゴルフコース(一一〇万平方メートル)
昭和三十一年 県企業庁寮、天然記念物仙石原湿原植物群落に隣接して建てられる
昭和三十二年 湖尻集団施設地区指定、国民宿舎、ホテル、キャンプ場等開設
〃 駒ヶ岳ケーブルカー
昭和三十三年 駒ヶ岳スケート場
昭和三十四年 早雲山-大涌谷間ロープウェイ
昭和三十五年 大涌谷-桃源台間ロープウェイ
〃 芦ノ湖カントリーゴルフコース(一三八万平方メートル)
昭和三十六年 箱根園ゴルフコース(八二万平方メートル)
〃 小田原湯本ゴルフコース(七三万平方メートル)
昭和三十七年 箱根新道(有料道路)
〃 芦ノ湖スカイライン(有料道路)
昭和三十八年 くらかけゴルフコース(五六万平方メートル)
〃 駒ヶ岳ロープウェイ
昭和三十九年 芦ノ湖畔パブリックゴルフコース(六〇万平方メートル)
〃 乙女新道(有料道路)
〃 湯ヶ原パークウェイ(有料道路)
〃 強羅国際スケート場
昭和四〇年 ターンパイク(有料道路)
大規模な道路工事やゴルフ場造成と併行して各地に分譲地が造られ、別荘、保養所、マンション、ホテル、旅館などが各地に新設された。
合併前各自治体の持っていた公有地は、地元エゴの政策で安価に払い下げられ民有地と化した。このことは前記開発競争に油を注ぐとともに後日の自然保護対策を複雑困難なものにする一つの原因ともなった。
大開発の企画は国会周辺で進められ、地元はブルトーザーやダンプカーが激しく行き交い、この一〇年間にあれよあれよと思う間もなく箱根の自然破壊は著しく進行、山頂や稜線付近にまで景観に不調和なコンクリートの建造物や鉄塔が出現した。
【戦後の開発競争〈開発して天に至る〉】
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