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【温泉法の誕生と保護対策】

 昭和二十三年七月、新憲法のもとで温泉法が施行され、厚生省が温泉行政を所管することになった。温泉法の草案(昭和二十二年)では、温泉脈は国有とし、温泉権を物権と定義していたが、その後各方面と協議の結果、温泉権は土地所有権に付属するものとされ、現在の温泉法となった。

温泉法には三つの目的が掲げられている。

 第一目的は温泉の保護である。温泉開発を放任することなく、温泉掘削、採取に対し必要な制限をして、温泉の枯渇、湧出量の減少、化学成分の変化、温度の低下等を防止することにより温泉源を保護することである。

 第二の目的は温泉利用の適正をはかることである。温泉の利用には浴用、飲用などの厚生的利用と、製塩、温室、暖房、発電など産業的利用がある。温泉法では主として厚生的利用の適正を図り、公衆衛生上有害とならない公共的利用を扱っている。

第三の目的は公共の福祉の増進である。温泉法では温泉の保護と適正な利用を通して、究極的には公共の福祉の増進に寄与する。私有財産である温泉をさまざまに制限するのは公共の福祉に寄与するために行われる。

温泉法では都道府県に温泉審議会を置き、温泉掘削、採取などに関して、知事の諮問に応じ答申することになっている。

 温泉法の施行に伴い、神奈川県でも衛生部が温泉行政を担当することになった。昭和二十四年に県規則として「温泉法施行規則」、県訓令として「温泉法施行手続」が定められた。第一回温泉審議会は昭和二十四年(一九四九)六月に開かれた。昭和二十五年には「神奈川県温泉審議会条例」が施行され、温泉法に基づく各種の許認可事務の基礎ができた。昭和二十五年ごろから急速な発展を始めた日本経済を反映し、活発な温泉開発が始まった。さまざまな技術開発が加えられ、それに対応した「温泉の保護と適正利用」を進めるための方策がいつも後追いになった。
 法改正により、温泉事務が警察署から保健所に移された時、それまでの温泉担当者がリンゴ箱に詰めた帳簿類一箱を持って来て、新しい担当者の机の上にドッサと置いていったのが事務引き継ぎのすべてであったと伝えられている。
 温泉審議会では、昭和初期から守られていた源泉相互の距離六〇間(一一〇メートル)以上という慣例は原則として採用した。新期源泉が完成すると、揚湯試験を行い、揚湯による影響の有無を判定した。

 昭和三十三年、県衛生部長は「温泉地における飲料水採取のための井孔掘削について(通知)」(三十三環第二七〇〇号)を出し「飲料水、雑用水を得るために……温泉地において井水の掘削を行おうとする物は必ず保健所へ届け出ること。……本工事(井水掘削)により既存温泉の湧出量、温度又は成分に著しい影響を及ぼす場合に当たっては、温泉法第十一条の規定により土地の掘削を制限する」と述べている。この通知は有効に作用したことのないまま今日に至っている。

 昭和三十三年及び同三十七年箱根温泉の実態調査が行われた。湯本・塔之沢地区では源泉数は増加しても、総揚湯量は増加せず、泉温の低下する例も認められたので、昭和三十八年七月制限強化地区に決められた。この地区内では休止源泉の復活は認めない、新規掘削地点は既存源泉からの距離一五〇メートル以上とした。 

 昭和三十四年、小田原保健所に温泉室が設置された。同三十六年に温泉課に改められた。

 昭和三十六年、県立温泉研究所が設立された。この研究所の課題は温泉の開発、利用、保護の三目標であった。初代所長栗原忠夫氏は、温泉は地熱と地下水の相互作用で生まれ、温泉の成因について科学的な検討を加え、この大切な資源の有効な活用を図りたいと述べている。

 昭和四十二年、県温泉審議会の「温泉保護対策要網」が設定された。当時静岡県はすでに「温泉保護条例」に基づき最も進んだ温泉行政を展開していた。当時の須川豊神奈川県衛生部長は静岡県衛生部長時代に温泉保護対策条例を設定した経験があり、静岡方式を手本として、より体系化された神奈川方式の作成を試みた。箱根・湯河原・中川・鶴巻の各温泉に統一的な手法で行政を展開することになった。その内容は次のとおりである。

 温泉地を保護地区・準保護地区及び一般地区に区分する。

 保護地区では新規掘削と休止源泉の復活は認めない。利用源泉の揚湯量が減少した場合は、一定量までの回復を認める。

 準保護地区では既存源泉からの距離が一一〇メートル以上あれば新規掘削を認める。その揚湯量は既存源泉の平均揚湯量を目標とし、影響調査を行い、他の源泉に影響のない範囲内の量とする。

 大涌谷・早雲山・硫黄山は噴気地帯とし、新規掘削の距離制限は付けない。強羅地区は代替掘削を認める。

 箱根に直接関係ないが、中川温泉の揚湯量は一〇〇リットル/分以内とする。

 保護地区では温泉を新たにプール用に利用してはならない。

 この要網を運用してみると、文面の厳しさに反し、温泉の保護にあまり役立たなかった。

 昭和四十六年七月、環境庁が設置され、温泉行政は国立公園とともに厚生省から環境庁に移管された。戦後日本の経済復興、続いての急成長に伴って、さまざまな公害問題が発生し、その総合的な政策を効果的に進めるため、欧米先進国にならって、環境庁の設置となった。温泉法でも、温泉の資源としての側面が強調されているので、温泉は医療行政よりむしろ、自然保護行政の一環としてとらえられている。

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