地方、住民の生活のために草原として管理維持されてきた広大な地域があった。
江戸時代の絵図(仙石原長安寺蔵)を見ると仙石原は外輪山の稜線付近までカヤ原になっている。
芦ノ湖の西岸山伏峠から箱根峠、鞍掛山や十国峠方面は谷に面した水源地帯以外はほとんどが草原であった。
これは江戸時代交通や運搬農耕の主役であった馬の飼料や敷草として刈り取るほか、住居や馬小屋の屋根葺きの材料として稲藁より耐久性に優れていたカヤ葺き屋根用に刈り取るためのカヤ原として、毎年早春のころ火入れをし、焼き払って竹や雑木の侵入を防ぎつつ管理維持されてきた草原である。この状態は江戸時代を通じ大正まで、仙石原では昭和四十五年(一九七〇)まで続けられてきた。
【管理された草原】
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