鎌倉時代の阿仏尼の「十六夜日記」の湯坂路下りの一節に「からうじて越えはてたれど、またふもとに早川といふ川あり まことにいと早し 木の多く流るるをいかにと問へば あまのもしほ木を浦へ出ださんとて流すなり…」とある。当時は芦ノ湖の水が全部早川に流れていたので水量も今日よりずっと多く、そのため早川の渓谷も深く刻まれた。この急流を利用して、海水から塩を採るための燃料用木材を箱根山中から運び出していたものと思われる。
塔之沢から上の早川沿岸、特に外輪山側斜面に自然林が少ないのはそのためかも知れない。
【塩木の伐採】
カテゴリー: 1.神霊の山(古代から近世まで) パーマリンク