昭和十九年六月二十一日の県通達によって、「温泉旅館商業組合」は更に、「箱根温泉旅館施設組合」に改組しなければならなくなった。この法改正により、商業同業組合関係法と工業同業組合法が統合され新たな商工組合法の下に、業界の統一がなされたのである。
組合改組の経過については、昭和十九年七月十九日に塔之沢の組合事務所に臨時総会を招集して、改組に至る事情を次のように報告している。
大東亜戦争茲ニ三年聖戦ノ目的弥が上ニ輝キ御稜威ノ下皇軍将兵ノ護国魂ノ前ニハ敗戦挽回策ニ汲
々タル敵米英ノ苛烈ナル爆撃モ物ノ数ナラズ挺身、奮戦目的完遂ニ努力集中セラレ東亜諸民族モ亦歓
喜シテ協力今ヤ光輝燦然タル東亜新秩序着々トシテ実現セントス真ニ感謝感激ノ至リトスル処ナリ
吾ガ組合ハ組合員ト共ニ監督官庁ノ指示ニ基キ大政ニ翼賛シ奉リ自粛自戒戦力増強ニ與セント努力シ
左記ノ事業遂行セル処ナリ
吾ガ組合ハ昭和十六年二月法人組織タル商業組合トシテ認可セラレ今年四月ヨリ法人タル業務ヲ開始
シ専心誠意時局相応ノ事業遂行ニ努力セリ今ヤ国力増強ノ為メ商業組合工業組合ヲ一丸トシタル商工
組合法制定施行セラレ地方庁ヨリ六月二十一日附ノ通牒ヲ以テ当組合モ同法ニヨル施設組合ニ組織ヲ
変更存続スベキ旨下命ヲ受ケ六月末日ヲ以テ商業組合事業ヲ一応〆切新組合ニ改組ノ申請ヲ提出セン
トス
(箱根温泉旅館施設組合総会議事録)
事業活動については、日本鋼管川崎製鉄所へ一五名が勤労報国隊として出勤、国府津駅構内の滞貨処理のため三名が奉仕した。また「当局ノ下命ニヨリ防空非常用員トシテ湯本町内旅館從行員ヲ以テ炊事挺身隊ヲ組織ス」と報告している。戦時体制下の旅館施設組合の様子が浮かびあがってくる。
太平洋戦争は、南方に戦域が広がりこの戦域確保のため兵員動員計画が最優先された。昭和十七年九月二十三日この兵員動員計画に関連して労務調整令が発動され、男子の就職業種が制限された。旅館ホテルの男子従業員の雇入、使用も制限されて日本の男子はすべて第一線に動員されるにいたった。箱根温泉旅館施設組合は、国の主唱する企業整備の方針を受けて交通機関の関係部門に所属、職域奉公に尽くすこととなった。
戦局の進展に伴ない戦傷病兵士の数は著しく多くなった。陸軍省は陸軍病院に対し傷病兵士の温泉転地療養を命じ、箱根温泉もその対象となった(第四章「陸軍病院臨時箱根療養所」の項参照)。
ようやく戦局にかげりが見え始めた昭和十九年には米軍飛行機による本土空襲が次第に頻繁となり、無差別の都市爆撃が行われるようになった。なかでも、焼夷弾による一般木造家屋の火災で市街地はいたるところ阿鼻叫喚の様を呈していた。政府はこの現状を見て都市の建物疎開に着手し、続いて義務教育下にあった児童の集団疎開を関係都府県に命じて、縁故疎開を含めた学校ぐるみの大異動が展開されたのである(第四章「学童集団疎開」の項参照)。
【箱根温泉旅館施設組合へ改組】
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